こんばんは!
すっごいご無沙汰してました!
ちょっと別のことで文章考えることが多くて更新怠ってました。ちゃんとします。
今日はセンシティブなんですけど、宗教について。
まあ、ヨーロッパに留学していたこともあり、大学の専攻が英語圏文化だったこともあり、宗教について考えることはしばしばあったのですが、最近、2つの出来事からより深く考えることになりました。
まず、一つ目はオンラインの英会話でchaplain(チャプレン)の方とお話したことです。
チャプレンって何?チャップリン?(英語だとそう聞こえます)
私も初めて知ったのですが、ざっくり言うとチャプレンとは教会やお寺ではなく、軍や病院、消防などの組織に常駐する聖職者のことだそうです。
人の悩みを聞いたり、場合によっては祈りを捧げたりします。ただ、無理な勧誘は一切しないし、相談に来る人の宗派も問わない。カウンセラーに近い、とその方は言っていました。
臨床宗教師と呼ばれることもあるそうな。
私はとても驚きました。日本だとそのポジションには大体、臨床心理士がいるイメージです。だからこそ、アメリカや西洋諸国では心理士とは別にチャプレンという相談相手がいるということが衝撃的だした。
2つ目は、知り合いからおすすめされたこのDVDを見たこと。
ある大学生が大学の哲学の初回授業で無神論者の教授に「神は死んだ」という文を書くことを強制される。しかし、経験なクリスチャンである彼はそれを拒む。そこで教授は彼に各授業の最後の20分を使って「神はいる」という証明をしてみろ…というあらすじです。
まあ、映画としてはぶっちゃけ微妙です。
絵が綺麗とは言い難いし、大学のディベートってそんな簡単ではないと思うけどなあ、ってところもあります。全体的に勢いが先行しているいてあまり調査してないんじゃないかな…という印象です。
ただ、それ以上に感じさせるのが「無神論」という言葉の強さ。
日本では「無神論」は「無関心」とほぼ同義な様に感じます。
あ、まあ、あなたは宗教とか気にしないのね。的な感じです。
ただ、英語でathesm(無神論)と言う時、それは「神の否定」という明確なNOの主張になります。このことから考えるとSex pistolsのAnarcy in the U.KにおけるI am an anti-christという表現がいかに強いものであったのかわかると思います。
Sex Pistols - Anarchy In The UK
逆に言えば、それはキリスト教が広く浸透している国ならではの表現です。
私の好きな文学作品で『ゴドーを待ちながら(Waiting for Godot)』というものがあるのですが、この作品に対する批評でもしばしばゴドー(Godot)=ゴッド(God)であり、神の訪れを待つ人々を描いているのではないか、というものが数多くあります。作者自身はもしGodotがGodならばGodotではなくGodと書いているとこの説を否定しているのですが、文学作品においても、作品が宗教的解釈を受けることは避けて通れません。この映画の中でも無神論者としてカミュが挙げられています。それだけ、宗教というものが創作やその受容に影響を与えていることが感じられます。
さて、じゃあ、私はどうしたいのか。まず、私自身は地元の宗教をふんわり信じているけど、季節行事に合わせて線香をあげたりするくらいで、そんなに深い信仰は持っていない。という人間です。善悪の判断も神や先祖が見ているから〜と思うことはあまりないです。ただ、自分がピンチになると都合よく祈ったりはします。ただ、athesit(無神論者)でもありません。
神がいる、という世界があってもいいと思ってます。それが何教の神であれ。
人の数だけ世界があっていいし、神もいて良い。
他人の信じているものを否定することは極力したくない。
ただ、自分は現時点ではとてもふわふわした世界を生きているし、
そのスタンスは自分が望む時以外変えたくない。
旅人の様な気分で生きてます。
結局、真面目になってしまいました。
おやすみなさい。
↓「ゴドーを待ちながら」こんな感じです