秋の日記

いつだって秋。

絶賛自主隔離

こんにちは!

絶賛隔離生活してます!

まあ、でもコロナにかかった訳ではないです。ただ先日、諸用の為に東京を訪れまして、その後100人以上の感染者が出ている日が続いているので、しばらくは人に会うのを控えようかな、という感じです。無症状でウイルスを持ってるかもしれないので。

さて人にも会えず、時間はあるという貴重な期間なので前に図書館から借りた本を読みました。その名もでーん。

死の美術大全: 8000年のメメント・モリ

死の美術大全: 8000年のメメント・モリ

  • 発売日: 2018/10/23
  • メディア: 単行本
 

 死の美術大全!8000年のメメント・モリ

図鑑の様な厚さがあり、6000円します。図書館があって良かった。

 

さて、この本はそのタイトルが示す通り、「死」に関連した美術作品およびそれらへの解説を編んだものです。まず、私が何でこの本を借りたのか。

ある日、私はパートナーと日本とスウェーデンコロナウイルスの対応の違いについて話していました。スウェーデンは基本的に一度もロックダウンをしておらず、国民あたりの死者数だけでいえば世界でもかなり上位にきています。しかし、その様な政府の対応に対する怒りはあまり大きくなさそうです。

対して日本では「緊急事態宣言」が発令され感染者および死者数の数だけでいえばだいぶ低い数字で抑えています(昨日224人を記録したので分かりませんが)。ただ、国民からの反発は強いです。

どうしてこの様な国民感情の違いが生まれるのか。平時における政府と国民の信頼関係や集団免疫への考え方など違いはたくさんありますが、そもそも死生観が違うのではないのだろうか、とその人は言いました。

その場では「そっか、死生観かあー」となったのですがこの言葉は結構頭に残りました。

また、別の友達が卒業論文の発表で「memento moriメメント・モリ)」という言葉を用いていたのが気になりました。この言葉はラテン語で「死を覚悟せよ」を意味し、しばしば人の頭蓋骨で表彰されます。呪術的なものに限らず、人の限界や死は平等にやってくるという避けられない運命を想起させる概念です。

この2つの言葉が図書館をふらふらしてた時にリンクして、この本を借りました。

 

この本を読んでまず驚いたのが「死=怖い、気持ち悪い」というイメージが結構近代のものだということです。

中世あたりまでは前述した「死は平等にやってくる」という思想のもと、挿絵などでも結構、死神がコミカルに描かれています。いつも見えている「生」に対して見えにくいけど同じく常にある「死」という様な印象を受けます。また、ラテンアメリカの宗教世界では生は死の延長線上にあり、11月にある死者の日などには結構盛大にお祝いされるそうです。

ja.wikipedia.org

では何故、死は嫌われる(無視される)ものになってしまったのでしょうか?

この本はその問いに明確な答えは出していません。ただ、たくさんの美術作品を見ていく中で思ったのは、世界を科学的に理解できる、という考え方が死をその様にマイナスなイメージと結びつけてしまったのではないかな、と思います。

その昔、怪奇現象と言われていたことが実は科学的に説明できた、ということはしばしば起こります。金縛りなんかも実は頭の一部分は起きてるのに他の部分が寝てる為に起こる幻覚現象だなんて言われています。幽霊は目の錯覚で突然なる音は朝夕の湿度の変化からくる木の収縮と言われます。

しかし、死および死後の世界はどうでしょう。

もちろん心臓が止まる、瞳孔が止まる、と言った死の基準は科学にもあります。

ただ、死後の世界はありません。というか死後の世界を想定すること自体がアンチ科学になってしまいます。そうすると「わからないもの=怖い」という扱いになっていき、死は何か得体の知れないものになってしまったのかもしれません。

わかるものが増えたので相対的にわからないものがより不気味になってきている様な。

この2日間たくさんのガイコツの絵を見ながらそんなことを考えていました。

 

コロナウイルスはどうでしょうか。これも今のところ「わからないもの」です。

中世であれば街街を渡り歩く「死」自体であると言われたことでしょう。

まだ、ワクチンもなく感染方法も明らかになっていない、不気味で怖い存在です。対処療法方をしていくしかありません。ただ、その死(わからないもの)との向き合い方がスウェーデンと日本、ひいては諸外国で違うのではないでしょうか。

 

いや〜まじmemento moriメメント・モリ)です。

早く友達に会いたいな。

ご機嫌よう。

 

(P.S)「死」について考えていますが、「死にたい」訳ではありません。むしろ「死」は「性」とも密接に結びついてるから、生きる気力に溢れています。