秋の日記

いつだって秋。

めんどくさいやつ

こんばんは!

夏真っ盛りだけど全然外に出てない筆者です。だって暑いのだもの。

最近は大学院の試験の勉強を頑張っているので充実はしています。

今日の話題は人文系の分野を勉強している方々のイメージについて。

例えば「化学勉強しています!」「専門は経済学です!」「教育学部特別支援教育を…」と言う学生ってわかりやすいじゃないですか。というか、パッと聞いて大体どんなことやってるかわかるし、それが特にその人のパーソナリティーに影響している様にも思われない(実際はしてると思うけど)。

しかし、これに対して人文系はどうでしょうか。

「19世期フランス文学における美の概念についてやってるんですよ〜」

とくると一瞬おってなりますよね。

ボードレールの詩の退廃的な美は善悪という観念を取り払った後に表出する人間の本質をえぐってきますよね」

とかとなると「ちょっとやばそうだぞ」となると思います(私はならないけど)。

最近、家のソファに転がっている「文学理論の本」をチラッと読んだ母は「世の中には世界をわざわざこんなめんどくさく考える人がいるんだねぇ」と言っていました。身近な人の意見は貴重です。私もやばいのか。

なぜ、「めんどくさく」見えるのか考えてみます。

理由はおそらく二つ。まず、答えがない分野が多い。

上述した自然科学や社会学だと現実に役に立つという連想がしやすいことに加えて、基礎研究はあれど、応用研究と社会での実用が比較的近い気がします。この場合、「実用」というのが一つのゴールになります。例えば、摩擦についての研究していたとしても、自分たちの分野のトップの技術を転用したネジは世界の工業製品を支えてる、とか言うとちょっと格好いい。それに対して「哲学」「文学」あたりはずっと基礎研究です。もちろん「哲学+教育」とか「文学+社会学」となれば少し社会に近づくけど、それでもシンプルに「教育」「社会学」の方が実用性は高い。

二つ目は、その割には本人の性格に影響が出ていそう。

学問をやることはそれまでの自分とは違う視点を自分の中に作ることです。それはどの分野でも共通だと思います。しかし、人文だと学ぶこと自体が本人の世界観を変えてしまうから、どうしても世間的にはやや「変わった人」になるのかな、と思います。ただ、これはこの分野の偉大さでもあると思うんです。一つの文学作品の解釈は多くの場合、多層的です。そこには作品が描かれた当時の時代背景、自然の見え方、男女観、もっと言えば「なぜ生きるのか」という問題すら出てくることもあります。それは重なり合っているし、何より善悪でも正否でもないんです。現実ともう一個別のフィルターを自分の中に持つことができる。しかし、それが社会に有用か?それは誰にもわかりません。

以上①何してるかよくわからない②でも性格に影響していそう、の2点からやはり人文系は社会から「めんどくさい」と思われるのではないか、との考察に至りました。

まあ、でも個人的には歴史を変えてきたのは「めんどくさいやつ」だと思うので、

そこまでいけば良いのかな、とも思います。

この世は劇場("A whole world's a stage" by Shakespear)らしいしね。

おやすみなさいー。