秋の日記

いつだって秋。

好き嫌い

こんばんは!

どうも!お久しぶりです。

今日のトピックは「好き嫌い」。

みなさん、好き嫌いは多い方ですか?少ない方ですか?

まあ、私も若者ギリギリな年齢になっていることもあって(筆者は20+α歳です)、自分の好き嫌いはどこまで自分が決めてるんだろう、と考えてみたりします。

例えば、食べ物。私の母は好き嫌いがとても多いです。果物、生魚、揚げ物がお家の食卓に並ぶ事はまずありません。対照的に父はなんでも食べます。というか、父の実家がそれはそれで変わっていて毒抜きが必要な食べ物を毒抜きなしで食べても平気な体質の人たちみたいです。

その間に生まれた私はどうなのか。

小さい頃の私は非常に好き嫌いが激しく、加工食品をほとんど食べなかったそうです。しかし、今では一部のものを除いて大体食べられます。父の実家にもしばしば連れて行かれていたので、ある程度グレーな食べ物への免疫もついています。今ではずっと母より好き嫌いは少ないです。

なんとなくですが、好き嫌いって元々持ってるものに加えて周りの環境だったり、その人がどれくらい周りに合わせるかで決まっているのではないでしょうか。そもそも好き嫌いを克服するにあたっては一定量、嫌いなものを食べてみる必要があります。その過程を通して、あ、この味付けだったら美味しいな、とか、噛んでたら美味しい、という様に記憶を更新して人は嫌いなものを好きになります(勿論どうしても嫌いなこともあります)。そのチャレンジを続けれるか否かが好き嫌いには現れている様に思います。

 

で、ここまでは食べ物のお話。じゃあ、これが音楽とかファッションだったらどうなんでしょう。ちょっと厄介なのはこういう分野の好き嫌いは対人関係に影響してくることです。ある種のグループを作っている人達ってなんだか雰囲気が似ています。それはおそらく彼らが好きな音楽だったりファッションだったり芸能人だったり、ある種のセンスを共有しているからそう見えるのだと思います。好きなものを共有する友達を持つのは良いことです。

ただ、人はしばしば友達を作る為に好きなものを作る。

かっこいい人が聞いてる音楽はやっぱり格好良く聞こえるし、友達と好きなものは共有したい。それはとても良い。ただ、例えば自分が好きなバンドが誰にも知られていなかったり、むしろ否定されるバンダだった場合でも好きでいられるか、とか、その人の好きとその人を分けて考えられるか、だと話は急に難しくなります。

私のセンスの大部分は母で作られていました。母は1970~1980の海外ロックが大好きで私もずっと聞かされてきました。そして、その母が歌番組を見て言う「この人嫌い」とか「この曲いいね」が小さい頃の私にとってのセンスでした。特に、私は母が嫌いなものを好きになることができませんでした。

ただ、幸運だったのは学校に図書館があったこと。

読書は孤独な行為です。今でこそ読書会があったり、読んだ本について喋ることはあれど基本は1人でやること。中学〜高校にかけて部活動と勉強の合間を縫って、友達ともあまり遊ばず本を読んでいたのも今思えば、自分のセンスを作ろうと必死だったのかもしれません。中学生の時、母に勧められたサリンジャーを読んだのは今年でした。

今ではお互いの好き嫌いが違うことも分かった上で、母と音楽やファッションについて話せています。

これは自分に向けて書くことでもあるのですが、自分の好き嫌いを相手に合わせてもいい事はあまりないと思います。短期的にはあっても長期的にはボロが出ます。

だから、尖った言葉じゃなくて良いので、「好き」や「嫌い」に嘘をつかないでおきましょう。きっと、それでもあなたを見捨てないでいてくれる人が、ほんとの友達であり、パートナーであり、家族です。

1人も味方がいなかったら?

それでこそロックじゃないですか。(この辺、母から逃げられていない気がする)

それでは、ご機嫌よう。