こんばんは!
昨日今日と大雨でした。
コロナ自粛と重なって、インドア生活に拍車がかかりますね。
そんな中、私がよく見てるのは!
An introduction to General Philosophy!(一応、下にリンク貼っておきます)
これはイギリス・オックスフォード大学が公開している一般教養科目・哲学の授業風景を録画したものです。まあ、映像としてはおじさんがひたすら哲学について喋ってるだけですが、それも哲学なのか!って話が多くてとても面白いです(海外ドラマ1シーズン分の長さがあります)。
その中でも感動したのがガリレオ・ガリレイのお話。
知ってる方も多いと思いますが、当時の科学者はみんな天動説を唱えていました。それに重力についても、固体は全て地球の中心に行きたがっており、火は空に行きたがっている、という様な理論を大真面目に唱えていました。
ただ、不思議なことにこの授業の中で古代ギリシャからガリレイの時代に至るまでの哲学や科学の発展を聞いてると、そういう考え方もあるよな、と思ってしまいます。
フランスの作家アルベール・カミュは、
科学は目に見えなくなった時点である種の詩の様なものになる、
と言いました。
実用的な点を無視して、世界を理解する手段として見たとき、詩も科学も似た様な抽象性を持っているという主張です。
ガリレイは最先端の望遠鏡を入手・自分で改造していたと言われていますが、
その中に映った月の影、星や金星の位置から、自分だけの理論を作って、
当時、絶対の権力を誇っていた教会に送っちゃう。
それは宗教という大きな社会の詩に対する、ガリレイだけの地動説という詩の反抗にも思えます。すっごいパンクです。
しかも、だいたいの論文を知識層しか読めないラテン語ではなく、市民が読めるイタリア語で書いてたんだって。めっちゃパンクです。
しかし、気をつけたいのは当時の地動説は今の天動説だったし、当時の天動説は今の地動説だったということです。「地球は青かった」というガガーリンの言葉や、テレビや映画や、学校で習ったあれこれから、私たちは地球が太陽の周りをぐるぐるしてると思っています。
自分で見た訳でもないのに。
本当はどっちだって良いのかもしれないのに。
おやすみなさい。
1.1 An Introduction to General Philosophy