「あなたは日本人ですか?」
パスポート的には日本人だし、何も臆する必要はないのだろうけど、その質問に「はい」と答えることも「いいえ」と答えることも曖昧な何かを無理矢理に断定してしまう様な緊張感がある。すみません、ちょっと保留で。
「あなたは沖縄人(ウチナーンチュ)ですか?」
この質問にも即答はできない。いやまあ、そうなんだけど沖縄を深く知っているか、とか方言話せるかって言われたら違うしなあ。
「じゃあ、グローバル・シティズン?」
なんだグローバル・シティズンって。あなたは老若男女ですか?って聞いてるみたいなもんだよ。それならまだ「人間ですか?」の方が嬉しい。
アイデンティティは交錯している。
親は「内地」という言葉をよく使う。そこに悪気はないけれど沖縄と他府県を区切るのにこれほど無機質な言葉はない。しかも沖縄は「外地」、外の方だしね。しかし、そこには歴史の背景がある1972年の本土復帰以前、沖縄は米軍統治下にあり、実際に日本ではなかった。復帰後も県外の人といざこざあった。彼らにとって自分たちが住んでいた沖縄は日本の「外地」だったのかもしれない。
じゃあ、翻って私はどうか。生まれた時から沖縄は日本で、親が県外出身の友人も本人が県外出身の友人もいて、方言もそんなにしゃべれない、代わりに上の世代みたいな強い地元意識もない。でも、冒頭のような質問をされると少し困ってしまう。
スウェーデンに留学していた時、"Where are you from?"って聞かれると勿論、"Japanese"って答えた。でも他の日本人と話してると「沖縄感強いね」って言われたりする。悪気がないのはわかってるけど、沖縄の外に出ると私は沖縄の人になるんだな、と思った。時には酔っ払いから「ニーハオ」って言われる、アジア人は中国人なことが多いから。確率から言えば悪くない仮説だと思うけど、流石にちょっと違うな。いや、実際違うし。
"What do you think of it as an Asian citizen?" 授業でアジアの人としてどうだい?と聞かれる。アジアの広さを舐めてんのか、と思った。
あらら。
900字くらいパソコンに向かってもはっきりした答えはない。
でもなんとなく思うのはこういうのって実はパッチワークみたいなやつなんじゃないだろうか。一枚布じゃなくてつぎはぎだらけのパッチワーク。遠くから見たら同じ色だけど近くで見たら素材が違ったりして、でもざっくり見る人からは「日本人」「沖縄人」「グローバル・シティズン」だったり。
はっきりした答えは多分ないし、どれもまあ、ある深さでは当たってる。
生きてきた人生やその後ろにある歴史、遺伝子がつぎはぎになってるだけ。
そう考えたらまあ、気楽に答えてたらいいんだろう。
流石に「宇宙人ですか?」って聞かれたことはまだない。
「はい」って言えるんだけどなあ。
地球も多分、何かしらのパッチワーク。
寄り添うと暖かいし。
今日も少しづつ、新しい布が足されていく。
おやすみなさい〜