秋の日記

いつだって秋。

文学部って…

こんばんは!お元気ですか!

ちょっと元気よく入った理由はちょっと難しいお題について話そうと思うからです。

題して「文学部ってどうなのよ?」

筆者は某大学の英文学科を卒業して、現在、修士を受けようかと考えていますが、しばしば、人から聞かれたり、自問する質問がこれです。

理系分野や文系にしても社会学系・経営学系の分野と比べれば文学部はこの問いに晒される回数が圧倒的に多いかと思われます。

まず、この漠然とした「どうなのよ」を二つに分けたいと思います。

 

①文学部、文学研究とは何をしているのか?

これは主に文学を研究しています。というとあまりにそのままなので、例を出して説明したいと思います。例えば、シェイクスピアの「リア王」という作品があります。この作品は人間が避けることができない「老い」というものだったり、はたまた「見た目と中身」、「道化」という存在の意義、だったり多様なテーマを含んでいます。

また、書かれた時代、上演された時代にはどのような受容をされたのか(今ではタブーなことが非常に人気だったりもします)。逆にこの劇は現代社会にどのような意味を持つのか(今でも世界で上演されています)。各キャラクターの性別や階級を通して見えるものはないか。

作品を仔細に分析し、その価値を掘り下げていくこと、新たな解釈の可能性を見つけること、それが文学研究だと私は思っています。

 

②その研究に価値はあるのか?

この問いへの答えが一番答えに窮するところです。なぜなら「リア王」の新たな読み方を見つけたところで直接誰かを幸せにすることはほとんどないからです(完全にないとは言いません)。また、深い考察をしなくても感覚的に作品を受け取り感動したり、ガッカリすることもとても大事な感性だと思います。センスは大事です。

ただ、その自分がセンスで感じたいいな!という感情、またある種の違和感を追求する姿勢こそ、この研究の価値ではないでしょうか。個々の研究ははっきり言って微々たる力しか持っていません。しかし、それが積み重なっていくと経済を原則として回る世の中に対して、人文的な視点という、もう一つの価値観を形成していく、それが大袈裟ながら文学研究の価値かなあ、と思います。

 

ここまでが僕なりの「どうなのよ?」に対する答えなのですが、

ここで当然出てくるであろうもう一つの問いも考えていこうと思います。

 

じゃあ、君はそれ(文学研究)がしたいんだね?

この答えはYesです。ただ、ちょっと条件付きのYesかもしれません。

なぜなら私は寂しがりやなので、あまり文学研究の世界だけにとどまりたくないからです。作品を新しい視点から見ることは前述したように大切です。また、その作業を通して自分や現代の課題が見えてきます。ただ、そのアウトプットの方法がなぜ論文でなくてはならないのでしょうか。もちろん論(Logic)が持つ力はお金の次くらいに強そうではあります。しかし、絵や音楽、パフォーマンス、俗に芸術と呼ばれているものたちだって同様に力を持っているのではないでしょうか。だから、私は学んでことを文章だけで表現する人にはなりたくないです。何か他の出口も探しています。

それは生き方そのものかもしれないし、これから出会う表現の手段かもしれない。

少なくとも作品の解釈だけでは私は満足できません。

本当に修士に入ってしまったら忙殺されちゃうという話もあるので、大口叩けるときに叩いておこうと思います。

世界をゆるくしたいなあ。

 

おやすみなさい〜